鬼師の世界

鬼瓦とは

飛鳥時代、中国大陸から朝鮮半島を経由して伝わった屋根瓦には、特別な意味合いを持った装飾が施されている瓦が含まれていました。
その後、その瓦は厄除けの願い込めた鬼瓦として、発展し今日に至ります。
鬼瓦には、魔除けや家内安全、無病息災、災害回避、商売繁盛、子孫繁栄など様々な願いが込められています。
また、鬼瓦は屋根の端部に設置されることにより雨水の侵入を防ぐと言う重要な役目も担っています。
「鬼師」は、その鬼瓦をつくる職人で、熟練された技術を必要とされます。

獅子

鬼面

露盤

経の巻

立浪

帆立

鬼師インタビュー

第一回インタビュー 佐々木利彦

鬼師 佐々木利彦(ささき としひこ)


島根県江津市出身 1953年生まれ
株式会社丸惣 品質管理部 課長

「お前、チョット継いで見んか?」

―― 子供の頃は、どんな子供でしたか?
あんまり目立つような子供じゃなかったかな。
どっちかって言うと、おとなしい方だったと思います。
ただ、物を作るのは好きでしたね。

―― 鬼師になったきっかけは?
うちに叔父さんがおりましてね、最初は丸惣で(鬼師を)やっておって、もう歳で「お前、チョット継いで見んか?」みたいな話しで、「まぁ、遊び半分で来て見んか」と言うような事で始まったんです。
息子さんがおられたんですが、継がんからと言う事で。
石膏型なんかも全部、自分がやれば自分が使えばいいと言う事で、やり出したんです。
それが昭和55年(1980年)。
当時は受けと言って作った分だけお金を貰う雇用形態だったので、叔父さんも一応会社には言っていたけど、「まぁ、自由に来い」と。
だから、見習いみたいな物なので給料も少なくてその分、叔父さんが多少補助してくれてね。 それから2年ぐらい一緒にやってたかなぁ。

―― それが何歳の時ですか?
それが26歳の時。
学校を卒業してから関西の製管工場で働いていて、帰って来てから地元の鉄工所に勤めたんだけど、何か違うな…と言う感じの所に叔父さんから誘いがあって。

一番は、根気じゃないでしょうか…多分(笑)

―― 鬼師の仕事の内容を教えてください?
まぁ、鬼師と言われると鬼瓦ばっかり作っていると思われるんだけども、最近は鬼瓦以外にも変形の瓦や屋根とは関係ない物も作るかな。
鬼瓦とそれ以外の比率で言えば大体、7が鬼瓦、3が鬼瓦以外と言ったところかな。

―― 鬼瓦を作るにはどれくらいの期間がかかりますか?
鬼瓦の大きさによるけど、今までで一番大きかった鬼瓦で2ヶ月ぐらい掛ったかなぁ。
粘土が柔らか過ぎると、やり難かったりする事もあったりするんで。

―― 粘土は自分達で練るんですか?
自動ラインで出てくる粘土は、硬くてそのままでは使えないので自分達で水を加えて柔らかく調整します。

―― 鬼師の仕事に必要な才能ってどんなものでしょう、美術的センスとかが必要ですか?
一番は、根気じゃないでしょうか…多分(笑)。
いやぁ作っていて肩は凝るし、特に細い線なんか入れる時とか。
一日中そればっかりやるって言うのは大変だと思います。
まぁ、どの仕事も根気なんだろうけども。

―― 仕事を覚えるのは、やっぱり「見て覚えろ」的な?
うん自分の時はそうだったね。
大体、見て覚えれって感じだった。
うんまぁ、手取り足取り教えられても、感覚が人それぞれ違うもんでね。
それに、昔はね自分が作るところをあまり人に見せたがらないんよ。
まぁ昔は、そう言う世界だったんだけど。

―― 最近はそうでも無い?
そう、Youtubeとかでも今は制作風景を公開されてたりするんだけども、時代はすごく良くなってきていると思う。

―― 習得するのに何年ぐらいかかるんですか?
ずっとやってれば、3年ぐらいで形を作る事ぐらいは出来るようになるかな、小さい物なら。

―― 鬼瓦を作る上で各産地によって違いがあるんでしょうか?
まず、石州は焼く温度が高いので他よりひと手間かけないといけないんじゃないかな。
粘土の特性もあるんだろうけど、粘土と粘土を接合する時にかける手間が他産地よりも多いような事を聞きますね。
三州と淡路で違うんだろうけど特に淡路は、粘土の接合が簡単だと聞いた事があります。 実際に確認したことはないんだけど…。

あれは自分が作ったんだなぁーと思って

―― 鬼師をしていて、どんなところにやり甲斐を感じますか?
やり甲斐ねぇ、やっぱり作ったものが屋根に上がっていると、あれは自分が作ったんだなぁーと思って、やっぱりうれしいですけどね。
そこらへんは、ちょっと他の人と違う感覚があるのかなと思います。

―― 気になって、屋根を見に行ったりするんですか?
行きますよ、あまり遠方でなければ。

―― 今まで作ってきた中で代表作とかありますか?
代表作ねぇ、代表作は無いなぁ(笑)。
やっぱり、ひとつひとつ違うもんでね、どれがと言ってもね、それぞれに思い入れがありますからね。

―― 逆に失敗とかはありますか?
ありますよ(笑)。
窯から出てきたら鬼の顔が爆発していたりとかね。

―― 何が原因なんですか?
乾燥不十分。
冬場が一番イヤかな。
そこは皆さんね、苦労しとると思うんですよ。

―― お施主さんの感想とかを聞いたりする機会とかはあるんですか?
いやぁそれは、何回かは聞いたことありますよ、「満足しておられたよ」って。
ただ、直接ではなくて、営業担当者を通してとかね…。
かえって、施工する職人さんから「葺きやすかったよ」とか言われることが多いね。
本当は、「ここをこうやった方がいいよ」って言うような意見をもっと聞けるといいかなって思うかな。

双方が影響しあっていいようになって行ければと

―― 今、鬼師が抱える問題ってありますか?
やっぱり、後継者問題だよね。
まぁ、ウチには後継者がいるんだけど、図面の読み方とかがもっと上達すると何にでも対応できると思うんだけど。
そのへん、自分が持っているノウハウとか、上手く伝えられるかどうか。

―― 結構、鬼師2代目とか3代目とか聞くんですけど、それだけ魅力のある仕事だと言うことなんでしょうか?
(笑)魅力があるかどうか知らんよ、あるって言ってもらえばうれしいけど。
今、三州とかでも3代目とか4代目になっとるけど、向こうは家業で独立としてやっている感じなの。
だから、代々受け継いでやっている人が多いと思う。
でも、石州はちょっと特別な感じかな、瓦メーカーの中に鬼師が居ると言う環境。

―― これからの鬼師はどんな風になって行くんでしょうか?
屋根と関係のない物もどんどんと作っていく時代だと思います。
もちろん、鬼瓦も作りつつ違う物も作っていくと言うね。
そこで、双方が影響しあっていいようになって行ければと。
それを見越して、今アクションを起こしつつあるんだけど。


第二回インタビュー 静間和司

鬼師 静間 和司(しずま かずし)


島根県出身(愛知県生まれ) 1972年生まれ
株式会社丸惣 製造一課

将来は船にでも乗りたいかなって…

―― ご出身はどちらですか?
出身は、愛知県なんですよ、育ちは、島根県になりますが。

―― 生まれてすぐに島根に?
いや、5歳だったかな。
元々、父親が島根県の桜江町の出身なんで。
父親の故郷に帰って来たってことですね。

―― 今も桜江町に?
いや、幼稚園に入る時に都野津町(島根県江津市)へ出てきて、今は二宮町(島根県江津市)です。
それこそ、会社から直線距離で300mぐらいですかね。

―― 学校は?
地元の小中学校に行ってから浜水(島根県立浜田水産高校)に。
その頃は、将来は船にでも乗りたいかなって…。
でも、段々と考えが変わって来て、何でもいいかなって(笑)。

―― 海が好きなんですか?
好きですよ。
昔は釣りとかしてましたけど、今は全然してないです。

―― 趣味は無いんですか?
無いですね。
会社と家の往復ばっかり。(笑)

―― 卒業してからすぐに鬼師の道に?
いや、最初は電器店の店員でした。
地元のスーパーに併設されていた電器店で店員をやってました。
そこを辞めた時に父親が鬼師をしていた縁もあり、父親が勤める会社に誘われて鬼師の世界へ足を踏み入れました。
とりあえず来てみなさい…みたいな感じで。

―― 「とりあえず来てみたら」的に始まることって結構多いんですね
大体そんなモンだと思いますよ。
とりあえず来てもらって、やってもらって、それからモノになるかどうか…って。

―― モノになるかどうかは、どこで判断を
まず、言われた事をこなせるかどうか。
最初だから当然、難しい注文はしませんけど。
粘土の板に線を引いて、ヘラを渡されて、線のとおりに切れとか。
切った後に断面をみて、まっすぐかどうかとか。
そんなんで適性を見たりしますね。

―― そのまま今に至ると…
いや、3年半ぐらいして一旦やめて、奈良県に行きました。
奈良に小林章男さんと言われる有名な鬼師の方がおられて、その方がやっておられる会社で鬼瓦を作る仕事を一年ちょっとほどした後に島根へ帰ってきました。

石州とは、根本的に違うところがあって

―― 向こうと石州では鬼瓦の作り方が違いますか?
もう、作る物の形式(かたち)が違いますからね。
大きさは、大体一緒だけど横幅、厚み、細かいところ全部が違いますからね。

まあ、別物ですね。

―― 作る上での難易度も違ったりするんですか?
難易度?、…そんなに違わないかな。

―― 何となく地域的にレベルが高そうなイメージを勝手に持ってたんですが…
ピンキリですよ、正直なところ。
たしかに、上手い人は物凄く上手いし。
そうじゃ無い方も、やっぱりおられるし。
鬼師の数が多い分、鎬(しのぎ)を削るって言うかね、競争が激しい分レベルに差が出て来るって言う事も…。
自分はこれが得意だけど、これは苦手って言う方もおられるでしょうし、何でもこなす人もおられますし。

―― 奈良での経験は、勉強になりましたか
勉強になったと思いますよ、期間は短いですけど。
小林さんは、厳しい人でしたからね、何も教えてはくれません、見て覚えなさいと…。(笑)
ただ、当時の自分は何が凄いのかすら、わかってませんでしたからね。
ある程度、自分がこなせるようになって来てから初めて、凄い所がわかる見たいな。

―― 向こうのやり方を取り入れてみたいとかは、あるんですか
出来るんであれば、したいと思うけど…。
基本的に向こうは、個人経営なので、瓦メーカーの中に鬼師がいる石州とは、根本的に違うところがあって。
個人経営だと自分が納得すればいいだけじゃないですか。
自分が作ってるんだから、例えばこれ買いますと思えば、それだけでOK。
でも、石州はそれと違って、会社でしょ。
会社の場合は、いくら思っても収益につながる事だと証明できて、はじめてOK。
コストダウンに直結するような話なら、まだ話は早い。
収益につながると証明しやすいから。
でも、そうでない場合は証明に難しいところがあって、二の足を踏んでしまいがちなところがあるんじゃないでしょうか。
欲を言えば、専用の土練機なんかあるといいなーと思うんですけどね。

―― 土練機については、他の鬼師さんも同様のことをおっしゃっていました
今は、製造ラインの土練機を拝借してるんですが、なかなか思い通りの粘土に調整しにくいところもあって。
それに、製造ラインを止めて作業しているので、製造ラインの効率も落ちてしまうと思うんだけど…。
まぁ、買ったら買ったで、置き場所の問題もあるんですが。(笑)

これしか無いからじゃないでしょうかね

―― 鬼師になりかけの頃の感想とかは?
正直なところ言えば、やっとられんと思いましたよ。

―― それは、どういったところが?
仕事は、嫌いじゃなかったんですよ。
ただ、どう言ったらいいんですかね、会社に行っても上司は親父です、家に帰っても親父の顔を見る。
朝から晩まで、同じ顔を見て、仕事の話をされて。

―― 家でも?
ええ、家でもしますね。
だから、もういい加減…やだなーって思ってましたね。(笑)

―― そう言う面以外では別に…
うーん、そう言う面以外では別に嫌とかは無かったですよ。

―― 元々、物を作るのに向いていたとか…
物を作るのは、好きじゃないんですよ。
壊すのは、得意ですけど。(笑)
子供の頃、父親が鬼師をしていた頃は、家に帰っても粘土をいじっているような人でしたから。
休みの日にどこか連れて行くって事も無いし。
友達がどっか連れて行ってもらった話をしていても、ウチは全然そんなこと無かったですから。
小さいときは絶対こんな仕事はしないって思ってました。(笑)
趣味で作るのは別として、仕事で作るのは好きじゃないですね。

―― 趣味で作るのなら楽しい?
責任を持たなくていいですもん。
途中でもうイイやって、止めてもいいし。
冒険も出来るし、失敗しても全然問題無いですし。
仕事は、そうはやっぱり行かないですから。
受注生産ですから作った以上は必ず売れるって決まっているわけじゃないですか。
そう言ういい加減な事は、やっぱり出来ないですよね。

―― 好きじゃないけど、ずっと続けてこられたのは?
これしか無いからじゃないでしょうかね。

こだわりは、出さないようにしていますね

―― 仕事上でのこだわりとかはあるんですか?
こだわりは、出さないようにしていますね。
周りの人はどうか知らないですけどね。
自分は丸惣に入るまで他の会社でもやって来てますから、それぞれの会社で特色と言うのがあるじゃないですか。
例えば、丸惣だったらこう言うスタイルでやっていますよ、他の会社ではこう言うスタイルですよ、とかね。
お客様の方も、そのスタイル知った上で注文してくださっているので。
自分を出すと言うか…、そう言うのはほとんど出さないようにしていますね。
好きに作ってくださいと言われれば別ですけど。
あまり奇抜な物を作っても周りに受け入れてもらえないですからね。
なるべく、そこのスタイルやお客様のイメージの添うように心がけて作りますね。

―― 今までで思い出に残る仕事は?
思い出に残る仕事?。
うーん、奈良の時ですけど、香港にある志蓮浄苑ですかね。
七尺(2.1m)の鴟尾(しび)を作るのに参加させてもらった事ですね。
人間が中に入れるくらい大きかったですからね。

本当にいい時代ですよね

―― 今、鬼師が抱えている問題とかはありますか?
結局、後継者の問題ですね。
まあ、鬼師だけじゃないでしょうけどね。

―― 静間さんみたいに一人前になるまでにどれくらいかかりますか?
いまだにまだ、一人前じゃないですけどね。(笑)
基本的に一番よく言われるのが、形を作るまでに三年ですね。
三年で形にするまでが出来るようになるかな。
極端に言えば一年ぐらいで形を作るところまでは行けるんですよ、ある程度決まった形だけを専門にやらしてしまえば。
でも、鬼師は色々な形を代わる代わる作って行かなければならないので、三年ぐらいって言われるんでしょうね。

―― 形を作れるようになったとして、その先は?
その先は、自分で図面を引いて、制作の日程を考え、原価がこれくらいになるって所まで考えられて一人前じゃないでしょうか。
そこまで出来るようになるのは、三年じゃ難しいでしょうね。
よく言われるのは十年、十年で一人前ってよく言われますね。

―― 鬼師さんが描かれる図面って言うのは?
落書きですよね、…まあ、ウソですけどね。(笑)
基本的には割付って言うのは決まってますよね。
これの大きさに対して横幅はこれくらいですよて言う基本形の割があるので、一応それに照らし合わせて描きますけどね。
その後は、もうバランスですよね。
こう言う形なら、この部分の長さは基本これくらいの割だけど、もうちょっと長くした方がいいとか、短くした方がいいとか。
これはもう、経験なんでしょうね。

―― それはセンスの問題とは違う?
センス…とは、ちょっと違いますね。
基本があってのその先でどう運用するのか。
それは、もう場数なんでしょうね、こなして来た数と言うか。

―― 特殊な注文で基本形と言うものが無いような時はどうするんですか?
いやー昔と違って今はいい時代ですからね、ネットで検索すれば資料は探せる。
昔は、資料がなかったらお手上げでしたけど。
まあ、いい時代になりました。(笑)

―― 今は動画サイトで鬼師さんが動画を公開されてたりしますよね
結構、ひととおり見たりしますよ。
ここは、いいなとか、ここは、こうした方がいいんじゃないかとかね。
見る人によって感じ方は、色々なんでしょうけど。
昔は、どっちかと言うと、どこへ行っても見せてもらえなかったですからね。
今みたいにオープンじゃなかったですから。

―― 動画が公開されたりするようになったのは、ネットのような媒体出来たからでしょうか、それとも鬼師さん達のマインドが変わったんでしょうか?
両方じゃないですか。
無料で使える媒体もあるし、せっかく使えるものがあるのなら、知ってもらおうって感じで。
知ってもらう事で、多少なりとも売上につながったり、興味をもってもらえたらって言う効果が期待できますからね。
本当にいい時代ですよね。


鬼師が作る新たな世界 ~ シナジーを求めて ~

鬼瓦制作の合間に新たな挑戦として作成した作品です。
石州の鬼師が持つ経験と技術を新たな発想と融合させ新しい世界を切り開きます。
この挑戦が相乗効果(シナジー)をもたらし、鬼瓦制作にも影響を与えようとしています。